普通を目指さない
そもそも〝普通〟って何でしょうね
「人並みのことをしてあげたい、、」
〝人並み〟って??
立派な祭壇の前で、何人もの僧侶にお経をあげてもらい、親戚一人ひとりが名前を呼ばれ焼香し、聞きたくもない弔電の文言を聞かされるのが〝普通〟でしょうか?
そう〝普通〟なんて、ないんです
「人は二度、死を迎える」と聞いたことはありませんか?
一度目は、もちろん肉体の死
私達が思う 死 です
二度目は、その人が全ての人の記憶から消える時に訪れます
たとえ、手を触れ、抱きしめることができなくても
その人を記憶に留めている人がいる限り
その人は、まだ死んでいないのです
ならば、葬儀とは
ひとつの 区切りに過ぎません
人間一人ひとりの人生が違うように
葬儀のかたちは人それぞれ
家庭環境、亡くなった年齢や状況、家族の価値観、亡くなった方の価値観、、
葬儀社との打ち合わせで
「普通」とか「大体みなさんどれくらい」とか「恥ずかしくないくらい」とか
絶対に言ってはいけません
葬儀社の〝普通〟は一般市民からは
かけ離れていますから
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疑問
多くの人が、あまり関心を持たない『葬儀』のこと
けれど、ある日突然
物凄く、関心のある事柄へと変貌する時がやってきます
そうなると、考えている暇はありません
全く経験のない世界
何をすればいいのか分からず
葬儀社の引いたレールに乗っかり、短ければ2日、長くても4~5日で全てが終了してしまいます
まだ、悲しみも疲れも癒えていない状態なのに
葬儀社から莫大な金額の請求書を渡される
家や自動車を購入、保険を契約する
ほとんどの方は出来る限りの情報や自分や家族の希望を吟味してから購入や契約を決めますよね
そう、とても大きな金額であるのに
思考能力が極めて低下している時に決断を迫られ、自分のことなのに
…よく覚えていない…
こんなの、おかしいですよね
あまり考えたくないけど
誰もが経験するであろう『葬儀』について
私の経験をもとに
お話しさせていただきます